異才・七里圭監督によるポストヒューマンの黙示録「清掃する女 亡霊」
白髪の清掃婦のもとに、若かりし頃の母の亡霊が現れた──。「ピアニストを待ちながら」「眠り姫」の七里圭監督が、自身の実験的な舞台作品を映画として再創造した「清掃する女 亡霊」が、6月13日(土)より新宿K‘s cinemaほか全国で順次公開される。ビジュアルと予告編が到着した。

パフォーミングアーツ界の実力派・安藤朋子と黑田育世による至芸を、AI技術が再解釈し、データのノイズ&エラーが生じる。それは肉体を削ぎ落とされた生命か、情報化されえぬ亡霊か。ポストヒューマンの未来を予見する衝撃作だ。
〈七里圭監督コメント〉
すべての母はかつて娘だったが、娘がみな母になるとは限らない──2019年に『清掃する女』という舞台作品で母娘問題を考えていたころ、私は一方で、ある悲観に囚われていました。人類はきっと、デジタル化の果てに亡びるのだろう……。そんな予感は、翌年から始まるパンデミックの中で加速します。AIという新たな知能が、恐ろしいほどのスピードで社会を侵食する、まさにその前夜に生まれたイメージが、『清掃する女 亡霊』という映像パフォーマンスでした。これはディストピアとも言えますが、私はこの作品を発表することで、今では清々しい気持ちで、世界の未来を考えられるようになりました。
〈識者コメント〉
物語映画、実験映画、パフォーミングアーツの境界線の冒険者による傑作だ。
──荻野洋一(映画評論家)
七里圭の異常性が存分過ぎるほどに発揮された怪作
──佐々木敦(批評家)
七里圭の参照点は60年代に盛んに試みられたエクスパンデッド・シネマではなく、1万年前に人類が洞窟の壁に映した影絵であり、映画館という制度ができあがる前の見世物としての映画である。
もしかしたらありえたかもしれない映画の可能性を追求する七里の作品は、過激な制度批判芸術であり、テクノロジーを使った楽しい遊びだ。
──西中賢治(フリーライター、編集者)
めちゃくちゃ怖い演劇(映画)。川本喜八郎の人形アニメーションにCGアニメの未来がかぶさったような、余裕で見ている観客が最終的には呪いを浴びせられるという…語りたいことがあまりにもありすぎて頭がパンクしそう。映画アニメーションの最先端を見たい人はここにある
──土居伸彰(株式会社ニューディアー代表取締役/ひろしまアニメーションシーズンプロデューサー)

映画『清掃する女 亡霊』
監督:七里圭
出演:安藤朋⼦、⿊⽥育世
歌唱・⾳楽:さとうじゅんこ
脚本:新柵未成、七⾥圭 撮影:⾼橋哲也、村上拓也 CGエンジニア:早川翔⼈ 整⾳:松野泉 ⾳声リミックス:池⽥拓実 楽曲提供:檜垣智也
2026年/日本/74分/5.1ch/DCP
宣伝協力:alfazbet 製作・配給:charm point
© charm point
公式サイト:https://keishichiri.com/seisoubourei/
