村上春樹——その作品世界の孤独を映像と音楽で描いた名作、市川準監督「トニー滝谷」

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村上春樹の同名短編小説を、2008年に急逝した名匠・市川準監督が実写映画化。イッセー尾形と宮沢りえが共演し、ナレーションを西島秀俊が務め、坂本龍一の音楽が全編を彩った「トニー滝谷」の4Kリマスター版Blu-rayが8月28日に発売される。2004年のロカルノ国際映画祭で≪審査員特別賞≫、≪国際批評家連盟賞≫、≪ヤング審査員賞≫の3つの賞を受賞した本作が、独特の映像美と繊細な音響によって、鮮やかに蘇った。

孤独な男・トニー滝谷の人生を、イッセー尾形と宮沢りえが表現

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物語は、ある男の人生を描いたものだ。トニー滝谷は純粋な日本人だが、ジャズ・ミュージシャンの父親からトニーという名前を付けられる。彼は子どものころから孤独で、やがてイラストレーターとして成功する。彼の担当編集者になった英子にトニーは生まれて初めて恋をし、ふたりは結婚。しかし英子は、新しい洋服を買いあさる衝動を抑えることができず、思わぬ事故によって命を落としてしまう。トニーは心の傷を癒すため、英子が遺した膨大な洋服を別の女性に着てもらうことを思い立ち、英子と体のサイズが同じ久子をアシスタントとして雇うことにする。

トニー滝谷は生まれてすぐに母親を亡くし、父親が全国を巡業するミュージシャンだったこともあって、少年時代からひとりで過ごした。だから彼は孤独だが、それを苦にすることもなかった。しかし英子との出会いによって、彼は誰かと暮らす幸福を知り、その彼女を喪うことで、さらなる孤独に襲われていく。市川準監督はデビュー作「BU・SU」(1987年)や出世作の「つぐみ」(1990年)で、性格がひねくれていたり、病弱だったりするために、周囲から浮いた存在で、内面に孤独を抱えた人物を描いて見せた。この映画でも、小説に書かれた主人公の孤独感に惹かれて、監督は映画化を熱望したという。

それだけに、少年期を経て中年となるトニー滝谷をひとりで繊細に演じた、イッセー尾形の孤独感が際立つ名演が印象的だ。トニーが惹かれる英子と、彼女と瓜二つの女性・久子を、宮沢りえが見た目やキャラクターを変化させて一人二役で演じている。英子は自分に欠けているものを補うために、洋服を買い続ける衝動を抑えられない女性で、彼女はトニーと結婚しても、どこか心が満たされない。そういう意味では英子もまた孤独とともに生きている女性であり、そんなふたりが惹かれ合ったのも、似た孤独を抱えていたからなのかもしれない。久子は、英子が遺した服を着ることで、彼女が抱えていた想いを瞬時に感じ取る、感受性の強い女性として描かれている。

西島秀俊のナレーションと、坂本龍一の音楽が作品を彩る

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またナレーションや音楽も、効果的に使われている。感情を排して小説を朗読するように語り続ける西島秀俊のナレーションは、汗の匂いを感じさせない村上春樹の世界によく似合っている。その後彼は、村上の小説を濱口竜介監督が映画化した「ドライブ・マイ・カー」(2021年)に主演したが、感情を抑制した彼の佇まいは、村上春樹作品の持つ乾いた空気とよく馴染むのかもしれない。坂本龍一は完成した映像をスクリーンに投影し、それを観てピアノを弾きながら即興で音楽を付けていった。市川監督からは『音楽で感情を説明しないでほしい』という注文があったが、『後で聞き返してみたら、自分で驚くほど静かで、強い孤独を感じさせる音になっていた』と坂本自身が後に語るほど、作品にぴったりの、静謐な音色の中にトニーの孤独感をにじませる音楽になっている。

村上春樹作品の映画化がまだ珍しかった時代に生まれた名編

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この映画は、2004年にロカルノ国際映画祭でお披露目され、翌2005年に日本で公開された。当時、村上春樹作品の映画化は、1981年に村上が卒業した中学校の後輩でもある大森一樹が監督した「風の歌を聴け」が最初で、野村恵一監督の「森の向う側」(1988年)の他には、山川直人監督による自主製作映画の短編「パン屋襲撃」(1982年)、「100%の女の子」(1983年)があるくらいで、「トニー滝谷」は村上春樹作品の映画化がまだ現在ほど盛んではなかった時期に作られた作品だった。

村上春樹の小説は1990年代からアメリカを中心に翻訳され、海外でも広く読まれていた。2006年にはチェコのフランツ・カフカ賞を受賞し、国際的な評価をさらに高めていく。その後、ベトナム出身のトラン・アン・ユン監督による「ノルウェイの森」(2010年)、韓国のイ・チャンドン監督による「バーニング」(2018年)、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」(2021年)、カナダやフランスなどの合作によるアニメーション「めくらやなぎと眠る女」(2024年)など、村上作品は各国で映像化されていく。それぞれ監督の作家性が表れた力作になっているが、「トニー滝谷」は、そうした映画化の流れが本格化する以前に作られた作品だ。市川監督は小説の世界観と読後感に真摯に向き合い、村上春樹の小説を丁寧に映像化した。また、作者と何度もFAXでやり取りをし、エピローグとして監督が付け加えた、小説とは異なるラストシーンも見どころだ。

撮影現場に密着した、貴重なメイキング作品も見もの!

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今回のBlu-rayには、主演のイッセー尾形によるエッセイがリーフレットとして封入されているほか、村松正浩監督の70分近いメイキング・ドキュメンタリー「晴れた家」と、2026年3月に公開された4Kリマスター版の劇場予告編が、特典映像として収録されている。「晴れた家」は2003年8月29日から9月13日まで行われた、映画の撮影に密着したもの。驚くのは、ほぼ室内で物語が展開されるこの作品が、横浜の郊外にある空き地で撮られたことだ。そこには、ステージと呼ばれる少し高くなった板敷きの空間があるだけで、その上に、トニー滝谷がイラストを描く仕事場、英子が買いあさった250着に及ぶ洋服や靴が置かれた部屋、久子が出席する結婚式場など、さまざまなセットが作られている。しかもすべてのセットに天井はなく、柱もガラス窓もない。壁や天井は暗幕で光を遮ることで表現され、空間の仕切りがないので、風が吹けば出演者のネクタイや髪が揺れる。もちろん天候が崩れれば撮影はできないが、「晴れた家」というタイトル通り、この撮影期間は幸いにも、まったく雨が降らなかったそうだ。それでも強風で暗幕が飛ばされることがあるわけで、屋外のステージだけで基本は室内劇の映画を撮る大変さがわかる。しかし監督や出演者は思いのほか楽しそうで、シーンごとに話し合いながら役柄や、時にはセリフまで作っていく様子が面白い。映画は人が作るものという、手作り感が伝わってくるメイキング作品になっている。

本編の4Kリマスター版は、撮影を担当した広川泰士と録音の橋本泰夫の監修のもと、映像と音が丁寧に再構築されている。映像では白黒とカラーの中間色を狙った、独特の色合いが見事に再現されている。その寒々とした孤独と登場人物たちの温かさの間にあるものを掬い取ったような、映像美にも注目していただきたい。

文=金澤誠 制作=キネマ旬報社 制作部(山田)

『トニー滝谷 4Kリマスター版』BD MX-749SB.JPG

「トニー滝谷 4Kリマスター版」

●8月28日(金)Blu-ray発売
▶Blu-rayの詳細情報はこちら

●セルBlu-ray 価格:6,050円(税込)
【映像特典】
・メイキング・ドキュメンタリー『晴れた家』(68分※SD画質)
・4Kリマスター版 劇場予告編
【封入特典】
リーフレット(イッセー尾形によるエッセイを収録)

●2004年/日本/本編76分+特典映像69分
●監督・脚本:市川準
●村上春樹『トニー滝谷』(文藝春秋社刊『レキシントンの幽霊』所収)より
●音楽:坂本龍一
●撮影:広川泰士
●照明:中須岳士
●録音:橋本泰夫
●美術:市田喜一

●出演:イッセー尾形/宮沢りえ/篠原孝文/四方堂亘/谷田川さほ/小山田サユリ/山本浩司/塩谷恵子/猫田直/木野花
ナレーション:西島秀俊

●発売・販売元:マクザム
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