陸上100m。一瞬の煌めきにすべてを懸けた、情熱と狂気の物語、劇場アニメ「ひゃくえむ。」
陸上競技の100m走に自分のすべてを懸ける、アスリートたちを描いた人気漫画家・魚豊の連載デビュー作を、長編第1作「音楽」(2020年)で世界的に注目されたアニメーション監督・岩井澤健治が映画化し、主要キャラクターの声を松坂桃李や染谷将太が担当した、『ひゃくえむ。』が9月19日から公開された。
才能型のトガシと、努力型の小宮。ライバルの対決が描かれる!
生まれつき足が速いトガシは、辛い現実を忘れるためがむしゃらに走る転校生の小宮と小学校6年生のときに出逢う。トガシは小宮に走り方を教え、やがて二人は100m走を通してライバルとも親友ともいえる関係になっていった。その後、小宮は九州へ転校。東京に住むトガシは、中学のとき才能の壁にぶち当たって陸上競技から離れたが、高校の途中から競技に復帰。その頃九州で頭角を現してきた小宮と、全国大会の決勝で対決する。それから10年が経過。二人に、再び対決の時が訪れる。
何のために走り続けるのか、アスリートの哲学が魅力的

走る才能に恵まれたトガシと、愚直に努力する小宮。対照的な二人のアスリートにスポットを当てながら、作品は速さを求めてその頂点に立つ者は『何のために走り続けているのか』を問いかける。この手のスポーツものでは、トレーニング法やシューズなどのアイテム、あるいはコーチとの連携など、選手がテクニカルに強くなっていくプロセスを描くものが多いが、岩井澤監督が焦点を当てているのは、スタートからゴールまで10秒の中に自分のすべてを凝縮させた100m走選手の、レース中のリアリティと、それぞれの選手の走る哲学である。
例えばトガシより二つ年上の有力選手・仁神は、小学生のトガシに『(自分が走る種目を)その距離に生きると決めた以上、何があろうと諦めず走れ』と言い、トップスプリンターの心得として『そこに居続けたいなら、常に絶対的でなくてはならない』という。これは若さゆえの高みを目指す言葉で、後に社会人になったトガシはピークを過ぎて成績が伸び悩み、やはり社会人で先輩の100m走者・海棠に相談すると、『(だが)現実逃避は、俺が俺を諦めていないという姿勢だ』とアドバイスする。自分がどこまでの速さを目指し、どこまでを限界とするのか。それはアスリート一人一人にしか決められない。競技に挑むアスリートが、それぞれ自分の哲学を持っているところが魅力的。言ってみればこれは、スポーツを題材にした人間の生き方を描いた作品なのである。
実写を基にアニメ化した、『ロトスコープ』の臨場感
レースのリアリティという意味でも、その映像は画期的。岩井澤監督は、実写で撮った映像を基にアニメーション化していく『ロトスコープ』方式で作品を作ってきたが、今回の100m走の場面では、強豪大学や元日本代表の陸上競技選手たちが基になる実写の撮影に協力。スタート時のダッシュ、そこからスピードが安定していって、ラストに加速していく感じまで、選手の見た目を通したスピードの変化が臨場感豊かに表現されている。特に目を引くのが、トガシと小宮が小学生以来二度目の対決をする、高校の全国大会決勝の場面。カメラは雨ふりの中で紹介された選手一人一人を正面から捉えて、レースの邪魔にならないように彼らの後ろ側に回っていく。レンズに雨粒が流れ落ちていく様まで、手持ちカメラでレース前の選手を捉えた実写の映像をそのままアニメーション化していて、まるで本物の陸上競技大会の会場にいるようなライブ感がある。スタートするまでの選手の緊張感や不安感を、ここまで体感させてくれた作品はかつてなかった。
松坂桃李と染谷将太が、主人公二人の声を好演
また声の出演者たちも、表現が的確だ。松坂桃李は、足が速ければどんなことでも叶うと思っていた小学生時代から、何度も体と心で挫折を味わい、大人になって目標を見失っていくトガシの人間的な変化を絶妙のさじ加減で演じている(彼が声を担当するのは、中学時代からだが)。小宮を演じた染谷将太も、人生の苦しさから逃れるために走っていた小学生時代から、才能では劣る自分だが努力すれば一瞬でも栄光を掴めると思い始めた高校時代を経て、日本のトップスプリンターになり、もはや走ること自体には何の喜びも見いだせなくなるまでを、感情を表に出すことが下手な小宮のキャラクターに合わせて見事に演じている。彼らの上の世代の海棠を演じた津田健次郎も含め、声の出演者たちがストイックなアスリートのドラマに、人間的な色どりを添えている。
岩井澤監督は前作「音楽」のときには脚本・絵コンテ・キャラクターデザイン・作画監督・美術監督・編集も兼任し、約7年半かけて作品を自主制作した。「音楽」は第43回オタワ国際アニメーションフェスティバルの長編コンペティショングランプリを受賞したのをはじめ、アメリカのアニー賞にもノミネート。さらには第75回毎日映画コンクールで大藤信郎賞も受賞するなど、国内外でその才能が認められた。今回の長編第2作では監督が得意とする『ロトスコープ』の技法が、時間と空間が限定された100m走の描写にうまく生かされ、その非凡なセンスを再び見せつけた。
また9月13日から21日まで東京2025世界陸上競技選手権大会も開催され、そこに出場するアスリートたちが、どんな気持ちでレースに臨んでいたのかを想像させる映画にもなっている。東京2025世界陸上で熱く盛り上がった人は、この映画を観ることでさらに感動が増すことだろう。
文=金澤誠 制作=キネマ旬報社
「ひゃくえむ。」
大ヒット上映中!
2025年/日本/106分
原作:魚豊『ひゃくえむ。』(講談社「マガジンポケット」所載)
監督:岩井澤健治
脚本:むとうやすゆき
キャラクターデザイン・総作画監督:小嶋慶祐
音楽:堤 博明
主題歌:Official髭男dism「らしさ」(IRORI Records / PONY CANYON)
出演(声):松坂桃李、染谷将太
笠間 淳、高橋李依、田中有紀
種﨑敦美、悠木 碧
内田雄馬、内山昂輝、津田健次郎
配給:ポニーキャニオン/アスミック・エース
©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会
公式HP:https://hyakuemu-anime.com/
